この「気づきの時展」2020年、21年はコロナの影響で中止になりました。2022年は何とか開催できないか模索中です。
  







汐文社の本は内容監修という形で作品提供、文章などを文字通り監修しました。絵の会の主張を少しでも入れようと思いました。この本は学校の図書館などに納入されています。
特別支援の…」本は いかだ社の社長さんを奥田さんから紹介され、一緒に作りました。この分野の第2冊目<地域作業所や卒業後の障害者アートの在り様>を書きたいとを考えていますが…。






岩手絵の会  実技、実践講座




◇「作文と教育」8月号の寄稿です。





作文と教育 9月号








作文と教育 10月号








「作文と教育」11月号











日本教育新聞社から新指導要領へのコメントを求められました。






「気づきの時」展に私に関わ個人や団体(自閉症児者親の会、ちっちゃな星の会)が参加しました。 
会場…秦野ギャラリー「ぜん」  会期…2016年12月3日(土)〜9日(金)
 

 



丹沢アートフェスティバルも10年目。中井町の蔵楽ギャラリーでの参加を支援しています。1週目は渡辺君、下にある広報の彼です。
3週目は藤沢でのアートサークル、4週目は家でのアート教室に通ってくる佐々君の展示をしました。この中井町の蔵楽ギャラリーで展覧会を企画したい人は連絡してください。











 

「まえがき」から
「わたしたちは、美術の教育は生きていく上で、とても大きな力を持っているし、何よりも楽しいものだと思っています。
眼で見えるものだけでなく、さわったり、聴いたり、五感を通して感じ、思っていいることを色と形で表すのが美術の授業です。
「できない」ことを見るのではなく「できる」ことから発展させていけば。ハンディを持つ子どもたちにも多様な取り組みができ、
いろいろな力が伸びていきます。」

 



今年は秦野の自閉症児者親の会のアートサークルの他に福祉作業所…ちっちゃな星の会にアートのボランティアに行っています。
「気づきの時」展にこの二つの団体の展示をします。
ちっちゃな星からは数名、自閉の会からも6名が参加します。素敵な作品ができています。ぜひご覧ください。
今年は 2015年は11月20日(金)〜26日(木) 秦野ギャラリー「ぜん」で開催します。






私が中学校の時に教えた生徒達の作品ですが、藤沢市民ギャラリー・ロビー(藤沢駅ビル・ルミネ6階)で
2011年11月8日から常設展示<約60点>しています。唐木先生の指導した作品も同時に展示。
2013年 9月29日で 第9期 が終わり、ここでの展示は一旦終了することになりました。


 
 




3年ほど前から、秦野で自閉症児者のアートサークルを月に一回開いています。
そこに通う方たちの作品展を開きました。新聞にも取り上げられ、多くの参観者でした。

 




 
新聞連載@〜H 「アーカイブス15歳自画像」展の作品に関連しながら、思春期前期の表現のあり方について
「15歳の自分に会いに」として連載しました。
























   






(地域と学校文化を結びつけることがもっと盛んになれば良いと思いますが。)
   

  
     
美術の学びが社会と結びつくことで生徒達の意欲が飛躍的にのびるということを実感した実践集です。






◇私の担当する生徒の作品を少しでも多くの人に見てもらいたいと思って企画しました。障害児への理解が深まる きっかけになれば良いのですが。

             

 ◇「美術力」ということで新聞連載しました。
 






















2003年5月24日(土) 読売新聞




現場では芸術教科の現状のみならず、知的な理解を軸とした教科も困難な状況で、教育全体が何かとても奇妙な展望のない、出たとこ勝負で動かされていくような感じです。総合学習も選択授業も、学習をするというベクトルが上向きなら成果も上がるでしょうが、子ども達が、もう勉強したくない,自己肯定感もない、自信もない、何もしたくない、という現状の原因を探らずに形だけ変えても無理ですよね。

 25人学級、自主編成、絶対評価の通信簿(今年から絶対評価になったのですが、現場が柔軟な対応ができない、こじつけな評価方法を取らざるを得ないようなシステムになっているのがわかりました。)、競争原理の転換、のどれか一つでも実施できないですかね。こんなのは答が決まっているのだから、やる気になればいつでも出来そうだけれどね。
しかし、現状は学区の拡大(受験加熱、競争、学校間格差が拡がるのは目に見えている。)や教職員への管理強化、多忙、などなど本質的な問題はどんどん悪い方へと変わっていくようです。
                                       

いままでに関係した本をあげておきます。もう絶版になっているのばかりですがこちらに残部があります。読んでみたい人はどうぞ。            




       
  
ボクのパレット表紙(A5)
 

 この本は神奈川絵の会のメンバーで編集したものです川崎絵の会の小島さん、高橋さん、湘南絵の会の唐木さんや下田さんらと作りました。駒草出版の村山さんにお願いして出版までこぎつけました。定価2000円でしたか消費税を考えるのを忘れて書き換えたことなど思い出されます。表紙の版画は息子の小学校2年生の時のものを使いました。残部少数あり。子どもの絵を教えている方におすすめ。
この時は松林堂ギャラリーの帰りに神奈川新聞社のポストに案内状を入れて帰ってきたら、早速取材にきて本の宣伝をしてくれました。この本の責任編集をしていたこともあって、何とか少しでも知っていただき、購入してくれればなぁと思っていました。結局なにがしかの赤字となりましたが…。

         
                
               300枚の紙ヒコーキ(A4)    
    初めて学年主任になった1988年から3年間、出し続けた学年通信です。担任を持たなかったので、学年の情報を少しでも父母や生徒自身に知ってもらおうと出し続けたものです。 B4(藁半紙台)の大きさで、ワープロと手書きを併用して週に2〜3枚程度作っていました。3年間で300枚ほどになったでしょか。紙ヒコーキと言う題は父母へ届けという願いと、配っても教室からヒコーキになって飛んでいってしまうのを皮肉ったものです。500冊ほど自費出版しました。


     

 80年代の前半期、校内暴力や問題行動などが急速に広まり、毎日イヤなニュースばかりでした。何か新しい、明るいニュースがほしかったのでしょう。生徒を主人公にした卒業式をと、実践したものです。

 あのころは、今もそうですが…、卒業式場があまりに殺風景なのと、紅白の幕に覆われていて、なんか、落ち着かなくて、生徒の作品を飾りたいと考え式場に飾ったものです。もちろん、式そのものもたいして代わり映えありませんから、何とか、生徒が目立つようなものはないかと、クラスの合唱曲を証書授与の後に歌うという形を試みました。校長の後ろに立つのはおかしいなどいろいろ批判もありましたが、子どもの顔が正面から見れるというので保護者には評判が良かったようです。
また、日頃の表現力を付けさせよう集団で読む群読を取り入れたのも、このころでした。木下順二の「子午線の祀り」に傾倒していた頃のことです。いずれも民間教育団体の生活指導、演劇教育、作文の会、児童言語研究会などの影響を受け工夫したものでした。今で言う総合学習でしたね。                                                    

   

少年の美術1(現代美術社刊)   

  今はもう、本当に幻の教科書になってしまいました。70年代の後半に教科書が採択されないのはなぜか?と言う新聞記事が載り,見本本で見た現代美術社の教科書は本当に感動ものでした。何とか学校現場で使えないものかと考えた末、教科書とは別に、副読本として購入し、唐木さんと二人で生徒へ熱く語ったものです。太田さんとも知り合うことができ編集のお手伝いや、指導書へ執筆などお手伝いさせていただきました。この表紙の本が最後の改訂になりました。美術教育のなんたるかを教えていただきました。




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