職員室も世代交代が進み、団塊の世代が退職し、若い人が教壇に立っています。若い世代は「造形あそび」…を経験し、基本的な技術が身についていないことも多く、今年の全国大会の入門講座は若い人でにぎわっていました。92号はその新しく先生になった人へのメッセージと、とっておきの技術を載せています。

   



  
  
        


美術の教室」は新しい絵の会が責任編集している雑誌です。 



「美術の教室」別冊を作りました。
A4 32ページ オールカラーです。
 頒布価格は一冊 500円です。

中学校は私が編集(中学1年〜3年)
先生だけではなく、生徒、児童の皆さんにぜひ見てほしい本です。教室、学年にぜひたくさんに置いてほしいものです。


  



106号が発刊されました。

101号からは絵の会の編集スタッフの力だけでの自主編成、構成、入稿と頑張りました。
巻頭文「手だてとわざと工夫で子どもたちに表現する力と喜びを届けよう」を書きました。
今の美術教育が、表現教育がこのようであればと思います。








ご希望の方は三嶋まで申し込んでください。
〒2570047 神奈川県秦野市水神町5−26    TEL/FAX 0463-82-5215
メール  mishima.m1511@gmail.com


       

     


    



   


「美術教育Q&A」はよく読まれています。




新しい絵の会機関誌「美術の教室」の編集代表を引き受けて、5年がたち、78号からは杉本さんにバトンタッチしました。美術教育誌としては貴重なものだと思いますので、何とか、継続して続けていきたいし、さらに多くの人に読んでもらえたらと考えています

          

79号の巻頭に「美術力で育つ」という論文,80号の色の特集でも巻頭「色について」、84号の「抽象的表現の可能性」にもを書いています。この号からCDを付録に付け、カラーで作品などが見られるように工夫してあります。





   
  
    77号(2004年11月発刊・編集代表最後の号です)  



       
                                                                                                                            
  
     

   

 

100号の巻頭原稿から 抜粋

 子どもの生活に軸を置いた、一人ひとりの顔姿の見える実践

…すべての子に表現する機会と力を、そして生きる喜びを…

新しい絵の会 事務局長 三嶋眞人

○変質する教育の中身

現在は中学校での美術授業は週1時限ほどになって、義務教育の中に占める表現教科の位置が極めて少なくなっています。学校内の美術教員の位置も存在感がなく、専任教員ではなく授業だけの講師対応が多く、学校運営や企画には関われない立場になっています。文科省から地区教育委員会、そして学校現場への締めつけの強化、パソコンの事務作業や個人情報保護の名での管理、多忙化する教員全体に多様な発想や自己研修するゆとりがない学校が創造性に乏しくなるのは自明でしょう。

本来、学校の教育とは何が大切なのか、そんなことを問いただしたくなる昨今です。コンピューターが計算をし、数冊分の百科事典の内容が一瞬のうちに引き出せる…。そんな中、記憶の量や計算の速さ、正確さを能力の基準と定め、選抜試験や評価で振り分けてきたことへの反省はしたのでしょうか。創造性や考える力などを大切に、などと言い出していますが、その力をどのように測るのかは曖昧にして、学校現場では相変わらず偏差値やテストで選別をしています。個々の能力や人間性、特性や嗜好をすべて相対化して並べ比較するといった上からの目標値到達ではなく、一人一人に焦点を合わせる教育がなぜできないのか。教室内の児童生徒の人数の多さや教科書の採択制度、教育費の高さを見ればこの国の教育の指針が、いかに市民の要求と遊離しているかがわかります。いくら高学歴でも、それが選別の結果であったり、高額なリスクを負ってのものであるなら、その結果は自己利益追求に傾くのは当たり前でしょう。

民間教育の掲げてきた教育の目的は社会の平和と平等な秩序、個々の自由と位置づけてきました。この10年ほどで国の教育の有り様が大きく変わり、それに対応して私たち民間教育研究団体の役割も大きな曲がり角に来ていると思います。

 ○美術教育と絵の会

―絵の会の実践研究の姿勢は−

・美術は表現者自身の思いや心の叫びが色や形で形象化されたもの。それは時間をかけ、人が生きる中で育んできた感情や感性であって、自然発生的に生まれてくるものではありません。各々が体験しながら、優れた文化に触れ、相互刺激し合い、鍛えられ、作られていくものです。

・そのための時間(美術教育)は育ちの中で十分に保障され、個々の体験的な経験値として蓄積されていくべきものと考えています。

・その表現力を獲得するための様々な方法が試され、考えられていますが、技術だけの習得や物写し、偶然性や奇抜さだけを珍しがるといったものだけではなく、表現者の姿や個性が根底に置かれなくてはなりません。「そっくり」「上手」「かわいい」…などの見方だけではなく、表現されたものの中に個々の感情(よろこび、恐れ、美しい、悲しい、さみしい…)を読みとり、共感、反発を繰り返しながら、自己肯定と生きている喜びが実感できるようになることです。

・評価という観点からは技術力や模倣力だけを相対的に注目するのではなく、作者の心情や創造性に着目し、個々の成長に注目することです。

 ◇学校、図工・美術の授業は

個人の思いを表現に結びつける表現教科はおしなべて授業時数が削減され片隅へ追いやられています。一方、それにかわる授業は道徳という形で教科化され、一方通行の感情の押し付けが始まって、しかも、その対応への評価もあって、感情が、良し悪しで判断され管理されるようになってきています。従順さ、感動の強制、現実を横に置いての夢つくりや夢やぶれての自己責任…このことはどのような人材育成につながっていくのでしょうか。

 −子どもの感性は−

個人情報の流出への恐れが背景にあるのか、個人の生活環境や感情まで隠す傾向が顕著になり、人前で心情を吐き出せない雰囲気が定着してきています。一方、携帯、スマホ、電子機器の氾濫で情報は飛び交い、直接顔を見合わせることなく、実感なく拡散しています。映像化された写真や解説で理解したような感覚になり、そこにあるのは視聴覚刺激だけで触覚や味覚、臭覚などは置き去りにされ、視聴覚という感覚の一部だけしか体感しない感性が育ちつつあります。デジタル情報の恣意的で差別的なイジメ、ヘイトスピーチ、犯罪、ポルノなどは想像を超えて青年層に浸透しています。本を読まない学生、授業のデジタル化、会話のない交流、…このような傾向は、ますます強まり、相互理解ではなく不安と恐れを生み、選別差別で自分の立ち位置を求めるようになって孤立感は深まるばかりです。

 −教育の現場では−

 五感を充分に使って体験する表現教科の授業時間数の削減は教育全体の問題として捉えたいものです。中学校の美術授業は週に約1コマ、50分の中で道具を出し、片付ける時間を差し引くと正味、制作時間に当てるのは何分でしょうか。40人のクラスで、教師は週に400人を超える生徒を受け持ち、個々に4領域の評定をしなければなりません。この僅かな時間で評価される数値が果たして個の能力を反映しているのでしょうか。この傾向は小学校でも同様で、音楽や作文など自己表現に関わる授業も相対としての時間数の削減となっています。人の行い、感情も評価される中で、個々の思いの反映である表現教科は技術習得と見栄えばかりを気にするパフォーマンスに傾きつつあるようです。

 ◇新しい絵の会のスタンスを明確に

個々の生活現実をリアルに捉えるということを曖昧にすると、自分の立ち位置もわからなくなります。個々人の差(家族、地域、環境、能力、体力、感覚力…)を認め合うことではじめて、共感や信頼が生まれます。集団で生きるということは個を隠すのではなく、個を認め合うことなのです。美術教育の表現もまた、個の思いや生活感情をリアル(単に形象の再現ではない)に映し出し、すくい取ることが大切にされなくてはなりません。 それぞれの作品から表現者の思いを読み取る感性も、他者とのコミュニケーションを通しての振り返りも意識的に取り込まれ、育まれるべきなのです。

 −絵の会の実践研究− 

ここ数年、さまざまなところでの実践を通して感じるのは子どもたち個々の姿が見えにくいということです。家族をテーマに取り上げるなど、自分の体験、経験を描くことが少なくなってきているし、物に触れ、観察し、それぞれの感じ方を表すこと、文章や本を読んでの自分のイメージを広げる…。このようなアプローチが減り、画面づくりが先行し、そのテクニックが、あたかも表現の力のように勘違いしているようです。リアルさを排除する動きが根底にあるのはこの国全体を覆う本音隠しの教育版ではないでしょうか。

 絵の会は図工美術表現で大切な実践の創造的柱を次の3本+α と考えています。

1、生活、体験と向き合うこと…それぞれの生活のリアルな感情の反映、様々な思いを大切に取り上げる。個々の体験そのものが表現の芽であり、共感への一歩です。

2、観察し、見つめ、発見すること…模倣や再現技術の向上ではなく、観察する中での発見、驚きといった対象との関わりの中で湧きあがる心情に注目する。何を、どのように感じるのか、触る、嗅ぐ、味わう…など五感を使い、ものに迫る姿勢を重視します。

3、文章や文字、音などからイメージすること…イメージ、想像力は自然に出てくるのもではなく、自分の置かれている環境、生活体験がもとになって育まれます。言葉や文字…といった抽象的なものから浮かぶ情景は表現者それぞれの内的な感情を反映するのです。

 +α として、手の巧緻性や動き、手技を使っての工夫、創作する喜び。人々が作り上げてきた作品の鑑賞、読みとることで共感する力を柱と考えます。とりわけ同年代の教室で生み出された表現を介しての読みとり、コミュニケーション力は他者を知る手がかりになる大切な課題です。

 

◇実践研究のこれから

学校教育の中での表現教科相対の地盤沈下ですが、子どもたちの全面発達という観点から極めて強い危惧を持ちます。大きく変化する環境の中で今までどおりの実践研究が難しくなってきているのは致し方ないとしても、授業時間があり、目の前に子どもたちがいる限り、実践研究は続けなくてはなりません。

 −教員の若返りと限られた時間や内容で−

ここ数年、さまざまな研究会の参加者を見てきましたが、若い先生方が多数を占めるようになってきました。その先生方の多くが小中学校の頃の図工美術教育が造形遊び的(行為の面白さや偶然性に依拠した実践)な授業や描写技術評定の中で育ってきているからでしょうか、美術への苦手意識(上手に描けない、想像力がない、下手だ…)や技術的稚拙さ(例えばナイフの使い方、絵の具の混色、工作道具の使用など知らない…)に驚くことがあります。これらのことを自覚しての研修なのか、民間教育の実技講座でも参加者が多いのです。表現技術の習得だけが目的にならないような講座内容の工夫は当然ですが、彼らなりの新しい感性で子どものリアルに迫ってほしいものです。

 −次の時代へ−

憲法の改正が取りざたされるこの時代に未来を描くとすれば、平和と平等、自由と言った出来るところからの協力共同や研究交流が民間教育団体にも必然と考えます。表現に関わる分野との広い視野からの連携や取り組みが子どもの実態に迫る手がかりになると思うのです。

 学校教育の中での研究は息苦しさが予想されますが、小学校の担任が児童の日々の生活の中からテーマを掘り起こしたり、幼児や支援教育など全面的な育ちに取り組む分野、地域のアート支援などに絵の会の培ってきた研究が生かされている事例も多く報告されています。また、実践内容もアニメ、イラストと言った表現手段を使っての取り組みや映像的な分野を取り入れたものも試みられています。

 「すべての子<人>に表現する機会と力を、そして生きる喜びを」

常に目の前の子どもたちの姿をしっかりと捉え、共感し、励ましていく…これからも、このアプローチが新しい絵の会の変わらぬ“新しい”スタンスであり続けたいものです。  

(みしままさと)






「美術の教室」購読は
  新しい絵の会のHP
(http://atarasiienokai21.jp) を見てください。


 この本が多くの皆さんに読まれることを、願っています。何しろ、宣伝するだけの資金力も、組織もないのですから、内容を検討し、口コミで広げていくしか、ないのですから。自費出版と言うことで、比較的気楽なのですが、美術教育の現状を考えると、もっと広げたいと思います。みなさんのお手伝いを是非お願いします。
○是非、教室の実践や周りで研究されている人をご紹介下さい。投稿原稿も大歓迎です。
○一冊でも多くの人へ紹介をお願いします。
○できれば、5冊、10冊単位で、購入して(この場合、送料は無料、1冊1000円)販売してください。
○各教育機関や研究所、大学や研究室の紹介をお願いします。Eメールなどで宣伝しようと思います。
○そのほかいろいろ、お願いします。

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